12/08/12 ’12北海道ツーリング1日目
8/12(日) 晴時々曇 札幌-野幌森林公園-岩見沢-万字-丁未峠-夕張 91km ルート図
(文:高森千穂)
北海道初日。
本日の目的は、万字炭山跡と万字線跡をたどることだ。札幌-岩見沢間は輪行も考えたが、岩見沢間までは平坦な土地であることと、トータルで85キロ程度なので(実際に走ったら91キロにもなったのだが)、走れると判断した。
朝、大通り公園はずれのホテルは、中国人団体旅行客であふれかえっていた。朝食会場には大行列ができるほど。北海道は積極的に中国人・韓国人旅行客を受け入れているとのことだ。
7時半過ぎに出発。静かなすすきのを通り抜け、豊平川を渡った後、旧千歳線跡を利用したサイクリングロードを走る。白石-北広島間のサイクリングロードは、札幌の住宅街にあるため、散歩をする人がたくさんいた。
新札幌付近でサイクリングロードを離れ、野幌森林公園へ寄り道する。北海道百年を記念して指定された、丘陵を利用した自然公園で、広大なところがいかにも北海道らしい。ここには百年記念塔が建っているが、築40年を過ぎてかなり傷んでいた。
岩見沢までは、国道12号沿いに楽に走ることができた。まだ12時前で昼には早いが、その後は町がなくなるため、昼食にすることに。札幌を中心としたラーメンチェーン店「ラーメンさんぱち」、割とおいしく、お客がひっきりなしに訪れていた。
岩見沢の町には寄らず、「北海道グリーンランド」という遊園地を横目に、道道38号に向かう。メープル小学校という名前のかわいらしい小学校が印象的。
万字線(昭和60年廃止。私は乗ったことがない)は、道道38号とほぼ平行しており、いくつか駅跡が残っている。旧上志文駅は駅舎が物置として残っていて、石碑が建っていた。
三笠市へ向かう道道30号と別れ、道道38号方面へ。クルマが激減し、周囲は田園地帯から徐々に山の雰囲気になる。旧朝日駅はとてもきれいに保存されていた。朝日駅の広い構内や、朝日駅周辺には、廃屋となった商店などがあり、かつては炭鉱の町として栄えていた雰囲気が残っていた。
旧朝日駅付近には「人生(タビ、と読むらしい)の途中」という、変わった名の喫茶店があった。ここで昼食としてもよかったかもしれない。
朝日駅跡に続いて、美流渡駅跡。バスターミナルになっており、裏手に小さな交通公園があった。万字炭山が現役のときには、美流渡の集落には25,000人も住んでいたそうだが、今はスーパーが一軒・ラーメン屋が一軒あるのみ。とても静かな町である。ここには、炭鉱の遺構の橋(集落から炭山へ向かう人道橋)が残っており、道道からはっきりと眺めることができた。
美流渡の次は毛陽の集落。ここには「メープルロッジ」というスパ施設があり、たくさんのクルマが止まっていた。岩見沢からの路線バスも毛陽までとおっており、とりあえずまだ町の雰囲気が残っていたが、ここから先、急に道も狭くなり、山道となる。
万字駅の駅舎は簡易郵便局となっており、小さな駅前広場では町の人が五、六人、盆踊りのやぐらを建てていた。万字駅跡の周辺はほとんど廃屋だったが、わずかに残っている人たちが夏祭りをするのだろう。
終着駅、万字炭山駅跡は、道道よりずいぶん下にあるので見に行かなかった。万字炭山駅跡付近には、炭鉱街の雰囲気が色濃くおり、炭住も残っており、まだ人が住んでいた。周囲には店などは何もないが。
ここから夕張までは700メートルの峠を越えなくてはならない。天気予報では曇りのはずがよい天気で暑く、さらにちょっと風邪気味だったため、この峠越えは非常に辛かった。いつものように足が上がらず、文字通り「ふらふら」走りとなった。妙に喉が渇き、水も底をつきそうになるし、淡々とした山道で周囲を見渡せるようなところもなく、ようやく登り切った、という感じだった。
夕張市に入り、峠を少し下ると「丁未風致公園」という公園があった。キャンプ場やパークゴルフ場があったが、人の姿は全く見えない。レストハウスもあるがシャッターで閉ざされ、非常にさびしいところだった。
さらに下りていくと、城のようなものが遠目に見えた。有名な「夕張めろん城」だ。開館していると聞いていたが、封鎖されていた。近くにバーベキュー広場もあったが、草ぼうぼうに覆われていた。夕張炭鉱が現役だったときは、このあたりにも炭住がたくさん建っていたとのことだが、今は全くその雰囲気はない。
さらに町へと下っていくと、これまた有名な「石炭の歴史村」が見えてきた。遊園地はほとんどの遊戯が撤去されているが、広大なチケット売り場や水上レストランが廃墟として残っている。閉校となった小学校を利用した宿泊施設は、窓が割れ荒れ果てている。
夕張小学校も夕張中学校も立派な建物なのに閉校(財政再建のため、市内で一つに併合されたのだ)。商店街もひっそりしているが、「映画の町」として売り出しているため、古い映画の大きな看板だけが目立つ。
それでも人は結構住んでいて、団地がいくつもあるし、普通の民家もそれなりにある。ただし、炭住の雰囲気は今はない。夕張には25年前に一度来たことがあり、当時はまだ、炭住がかなり残っていたものだが。
本日の宿は「ホテルマウントレースイ」。リゾートホテルを目指して建てられたものなのでとても大きくて立派だ。また、夕張駅がこのホテルの真ん前に移設されていた。かつて石勝線(夕張支線)は商店街の方まで伸びていたのに、線路も断ち切られていた。今の時代、鉄道でホテルに来る人はあまりいないと思うのだが。(この駅変更は、バブル後期、マウントレースイの所有者だった民間企業が行ったものなのだそうだ)
ホテルマウントレースイは、北海道の他の地のホテルに比べてかなり値段が高いが、夕張市が財政再建で売り出したホテルだから仕方のないことだ。ちなみに、今の時期は夕張メロン食べ放題で、これが売りである。夕張メロンはとてもおいしかった。
宿泊客は中国人団体旅行客がメインだったが、満室だった。今は民間企業の経営するホテルだが、「夕張リゾート」として、活気づいてくれれば嬉しい。