08/08/13 北海道ツーリング5日目

2018年3月20日サイクリング

8/13(水) 美深温泉-美深-仁宇布-歌登-枝幸 曇 97km 地図
(文:千穂 補足:呼人)
 本日は、今回の旅のメイン、国鉄美幸線跡をたどることである。
 美幸線とは、国鉄時代「日本一の赤字ローカル線」として有名で、1985年に廃止された。営業していたのは、美深~仁宇布間の約20キロ、わずか4駅であったが、「美幸線」という名の通り、<美>深とオホーツク海沿いの町・北見枝<幸>まで全通する予定で、トンネルも路床もすべて完成していた。開通を目前にして、国鉄再建法により廃止された路線である。このあたりは「日本一赤字ローカル線物語」(長谷部秀見/草思社/1982)という本に詳しいが、もはや25年以上前の本なので絶版だろう。ついでに、美幸線のように、路床が完成していても列車が走ることがなかった路線は、日本全国いくらでもある。
 さらに、本日にはもうひとつメインイベントがある。それは「歌登町へ行くこと」。今から25年ほど前「歌登の町への道はダートの道しかなく、死にいく町だ」と、聞いたことがあったからだ。それ以来「歌登の町を一度見てみたい」と思い続けていたが、公共交通の不便な地でもあり、この日までかなわなかった。自転車に乗るようになって、本当によかった。(と、今回の旅、何度も思ったものだ) ちなみに、歌登と同じぐらい行きたい町に雄冬がある。雄冬は「国道がなく船でしか行けない町」として聞いていたが、これはもはや昔話である。もっとも「歌登の町への道はダートしかない」というのも昔話であるが。
 今日も7時からの朝食を一番に食べて、7:30過ぎにスタート。宿泊していたびふか温泉は、美深の町の郊外にある。まずは国道40号で市街まで10キロ南へ走る。しばらくは畑が続くが、美深大橋を渡り市街が近づくにつれて水田が見える。この風景から「美深は稲作の北限」と思っていたのだが、実は遠別だった、というのは、先日書いたとおりである。

 屋上に『美幸の鐘』が立つ美深駅に着くと、ちょうど宗谷本線の各駅停車が上下線とも発着するところだった。写真を撮ってから、近くのコンビニで水分補給をする。この後は店のほとんどない道ばかりを走るため、2リットル補給したが、この日は曇り空で涼しかったため、あまり飲まないですんだ。

 国道40号を左折し、道道49号線で美幸線跡をたどって仁宇布へ向かう。仁宇布付近は、美幸線跡を使ってトロッコに乗れる「トロッコ王国」となっていて、道案内があちこちに出ている。
 しばらくは辺渓の広大な畑や水田を突っ切るまっすぐな道。途中で名寄市との境界が近いのでちょっと立ち寄ってカントリーサインを撮影する。長い直線区間が終わると緩やかに山間へと入っていく。

 もっと開けた場所かと思っていたが、ペンケニウップ川の谷に入ると意外と深い山の中。幾度か川を渡ったり、川から離れて山側に少し上ったりする。ちょっと「熊が出そう」な雰囲気であるが、「トロッコ王国」へ行くと思われる車やバイクがちょこちょこと追い抜いていくので、なんとなく安心だった。
 道から左右を注意深く見渡していると、美幸線跡はあちこちに残っていた。鉄橋も路床も、しっかりとわかる。廃止されて20年以上たつのに、保存状態がとてもよい。

 仁宇布の手前5キロ、高広の滝PAに到着。ここが「トロッコ王国」の折り返し地点になっている。ちょうど仁宇布から今日の第1陣のトロッコが到着してきた。ループ線で向きを替えて復路の発車準備をしている。
 ここから道の横にレールが続き、途中には橋も架かっている。遠くからエンジン音が聞こえて、黄色のトロッコが橋を渡っていった。
 橋の上を渡っていくトロッコに「乗りたい!」と胸が高鳴りすっかりその気に。

 10:00に仁宇布跡の「トロッコ王国」に到着。仁宇布の標高は285メートル。ゆるゆると上がってきたので標高差はあまり感じなかった。
 乗車手続きをしてから20分ほどで出発となった。ただし、残念なことにぽつぽつと雨が降り出したので、薄いカッパをかぶった。ちなみに、乗車賃は二人乗りの場合、一人1200円。往復で約50分。これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれだろうが、私としては「ぜひ乗ってみるべき」と思う。
 トロッコに乗車するのは、一人者から私たちのような二人組、それから五、六人の家族連れまでさまざま。トロッコの車種もいろいろで、レトロな二人乗り用から、屋根のついた家族用(新車だそうだ)までさまざま。係りの人が、それぞれのグループに合ったトロッコを割り当ててくれる。「レトロなやつに乗りたいなー」と思っていたら、その通りの19号(スポーツタイプ)を割り当ててくれた。

 レトロトロッコは、エンジン起動はヒモでひっぱり、アクセルは手でレバーを操作するタイプ、ブレーキは足で踏む。さらに、停止中に動かないようにサイドブレーキがついていて、簡単な車のようだ。トロッコを運転するには「要免許証」である。ただし、チェックはされなかったが。(いまどき免許証を持っていない大人なんていないと思っているのかもしれない)ちなみに私は、ちゃんと普通免許を持っている。ただし、運転するのは23年ぶりだったが(^^;←ほとんど免許の意味をなしていない。
 小雨の中、仁宇布を出発。行きは茅沼氏運転だ。ゆるやかな下り坂なので、スタートするときに少しアクセルをかけると、あとはアイドルで線路をすべるように走っていく。白樺並木を抜けたり、うっそうと茂った森の中を走ったり、橋を渡り、農道と交差もする。
 帰りは私が運転。帰りは上り坂なので、けっこうアクセルを使った。自力でペダルをこがないで勝手に進んでくれるのはかなり楽。体を動かさない分、結構寒かったが。鉄路の上を走れるのはここだけだろう。しかも往年の美幸線の気分になれるなんて、ここはものすごくお勧め。またぜひ訪れたい。

 往復40分のトロッコ体験を終えると11:10過ぎ。すっかり体も冷え、雨もやまないし、ここから先、歌登までは50キロ近く町がないので「トロッコ王国」そばの店「キッチンコイブ」で昼食とする。「トロッコ王国」でもコロッケを食べられるとのことだったが、昼前は準備中らしい。というわけで「キッチンコイブ」でカレーとハヤシライスをいただく。どちらもラム肉でおいしくて、しかも500円というお得なランチだった。

 さて、いよいよ歌登へ向かう。雄武方面へ向かう道道49号線と別れ、道道120号線に。「歌登 45キロ」という標識に「遠いなあ」と思う。今日は午前中、トロッコで遊んでしまってあまり距離を稼いでいない分、よけいに「遠い」という気分になる。美幸線が走っていた当時は、仁宇布-歌登間はダートだったそうだが、今は快適な舗装路である。
 仁宇布を過ぎると牧場が広がっていて、その牧場の中をつっきるように、美幸線(未開通部分)の路床がはっきりとわかる。トンネルもそのままだ。各地の廃線跡よりも、ずっときれいに残っている。仁宇布原生保存林入口、松山農場と、だらだらと傾斜を上っていくと、旧歌登町との町境の西尾峠となった。標高385メートルで、仁宇布から100メートルほど上ったことになる。歌登町は、枝幸町と合併してしまったので、いまはもうない。けれどもようやく、ずっと訪れてみたかった歌登にやって来たのだ。カントリーサインは、かわいい牛(歌登)とカニ(枝幸)の合体版だ。どことなく豊富町のカントリーサインと似ている。

 峠を越えるとフーレップ川に沿って緩やかな下り坂が続く。歌登は酪農が中心の町だった。広々とした牧場か原野が広がり、あとは、朽ち果てた廃屋が目立った。景色はかなり「淡々」である。行き交う車もほとんどない。
 途中の天の川トンネルは、美幸線のために作られたトンネルを、車道用に改造したものだ。形はどうであれ、鉄道が走らぬまま放置されていたトンネルが生かされたのはいいことではないか。ひんやりとしたトンネル内を抜けると、出口にはモヤがかかっていた。

 天の川トンネルを抜けると、道は徳志別川に沿う。トンネルをぬけた先に大曲の集落があったが、もはやここは廃集落だった。大曲小学校跡の建物は、哀れなまでに朽ちてへしゃげていた。
 仁宇布から歌登までの間には、集落と呼べるところは二つのみ。ひとつは上徳志別。小学校跡はキャンプ場「かみとくしツーリスト」となっていた。ただしこの集落にも廃屋が目立つ。



 丘を越えるとペンケナイ川となる。もうひとつの集落が志美宇丹。大きな小中学校があったが、今年の三月に廃校となっていた。ここらへんも、美幸線(未開通部分)の路床がはっきりとわかった。

 仁宇布から45kmを2時間半かかり、ようやく歌登に到着した。歌登市街はきれいに整備されていて、商店もぽつぽつ並んで一応「商店街」も形成していた。歌登は決して「死に行く町」ではなかった。どうもすみません、歌登の皆様。新しい家が目立ったが、これは周辺地域から移住してきたのだろうか? だから、周辺には廃屋が目立ったのだろうか。


 町のはずれのセイコーマートでプリンのおやつを食べ、歌登の町をぐるっと走ってから、道道12号線であと10キロ、枝幸を目指す。途中、道路の拡張工事が行われていたが、ここでも美幸線の未開通部分の路床が利用されていた。時を越えて、美幸線は蘇っているのだ。鉄道ではなく自動車だけれど。これも時代の流れなのだ。


 枝幸までは北見幌別川流域の原野が続いた。なので、下幌別を抜けて国道238号にぶつかって海が見えた時はホッとした。曇り空だったので、鉛色のどんよりとしたオホーツク海ではあったが。

 枝幸にもかつて鉄道が通っていた。興浜北線の終着駅・北見枝幸駅があった。興部と浜頓別を結ぶはずだった興浜線の北側(南側は雄武-興部で「興浜南線」だった)の一部開通路線の終着駅だったわけで、決して終点だったわけではない。本来であれば、枝幸は興浜線と美幸線が交わるターミナル駅になるはずだったのに、今は駅があったことすらほとんどわからない。駅跡には小さな碑が建てられていて、付近には、かつて旅館だったと思われる古い建物があって、わずかにその雰囲気が感じられる程度だった。向い側には、バスターミナルがあった。


 さて、今日の宿も、日帰り温泉に併設されたホテル「ニュー幸林」である。市街から1キロほど、小高い丘を上がったところにあった。行ってみてわかったのだが、正確には、もともとホテル(スキー場のホテルらしい)があったところに、日帰り温泉を併設した、という方が正しい。

 ここは食事がとてもおいしかった。特に、土鍋で出てきたシーフードごはんは絶品。残さず食べてしまった。ちょっと高いけれど、お薦めの宿です。和室で1泊2食7800円。