07/09/16 道南ツーリング3日目

2018年3月21日サイクリング

熊石-大成-北檜山-瀬棚-茂津多-島牧
97km 晴時々曇
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 夕べは強い雨で、夜中中、強い雨音が響いていた。けれども、朝起きると曇り空で、空は意外と明るい。夕べのうちに前線が通り過ぎたようだ。
 朝食は食堂で。満席である。今朝もイカ刺しつき。北海道に来て以来、朝晩とずっとイカ刺しを食べている。どこの漁港にもイカ釣り船があったから、本当にイカは豊富にとれるのだろう。

 昨日苦労して上って来た坂を下り、熊石の市街をぬけると、徐々に日が差し始める。海から黒い岩がごろごろ顔を出し、雲のように見えなくもない「奇岩雲石」を左に走ると、すぐにせたな町へ。旧大成町である。せたな町は、大成町・北檜山町・瀬棚町が合併しているので、カントリーサインも合体版である。

 ここらあたりからとてもよい天気に。海が青く輝きだし、非常に気分がよかった。やっぱり晴れは嬉しい!
 大成地区の観光の目玉はやはり奇岩。一番は「親子熊岩」。 遠くから見ると「どこが熊?」なのだが、その角度から見ると「うわっ、ほんとに熊の親子!」とびっくり。熊そっくりに見えるのである。親子熊岩の先のトンネルはその名も「親子熊岩トンネル」。短いトンネルが続き、その合間に狸岩など見え、ここの区間は、今回の旅でも最高だった。
 「道の駅てっくいランド大成」で一休み。トイレと案内所のみで売店すらない道の駅である。海水浴客のための施設をかねていて、夏の最盛期には屋台のような売店がでるらしいけれど。トイレにシャワーが併設されていたのも、海水浴客のためだろう。(今の時期は閉鎖されていた)。

 熊石方面を振り返るとまた雲がでていたが、瀬棚方面は青空が広がっている。このまま晴れが続いてほしいと願いながら、大成市街手前のセイコーマートで水分補給をする。
 ここでまた、昨日のMTB青年と会う。「たぶん今日は島牧YHだろう」と思っていたら「そうだ」という。私たちも今夜は島牧YHの予定なので、「それじゃまた夜に」といって別れる。いっしょに走るには速度が違うので(正確にいうと私が遅すぎるので)仕方ない。
 瀬棚へは海沿いに道はない。内陸部を通り180メートルの檜山峠を越える。檜山トンネルを抜けると北檜山地区となり、景色が一変して穀倉地帯となる。同じせたな町とはいえ大成地区とは全然違う。それでも合併したのは、この国道229号で結ばれているからだろう。

 いくつか小さな集落を抜けると若松という大きな集落に出た。会津若松から来た人が開拓したのではないだろうか。若松地区の農協のお米は「白虎米」だし、田んぼには白虎隊のような侍の格好をしたマスコットが描かれていたからだ。
 若松地区のはずれの道端で、また、例のMTBの若者に会った。パンクして修理していたのだという。修理は完了とのこと、「それでは~」とお先に失礼する。どうせ間もなく抜かされるのだろうけれど。

 北檜山にはセイコーマートもあったが、瀬棚が近いので特に寄り道もせずに通り過ぎる。北檜山にはかつて、鉄道が通っていた。長万部と瀬棚を結ぶ瀬棚線である。1987年3月に廃止されたが、廃止の数日前に乗車した思い出がある。今回の旅で、渡島半島西部では、瀬棚とともに唯一訪れたことのある地だ。北檜山駅舎はきれいに残っていた。転換された函館バスのバスターミナルとなっており、改札口は当時の面影そのままであった。ただしバスターミナルなのでプラットホームはなくなっており、線路もどこを通っていたのかまるでわからなかった。

 旧北檜山駅跡から国道にもどったところで、例の青年に追い抜かされる。うーん、やっぱり早いなあ。あっという間に道路の前方に吸い込まれていってしまった。
 瀬棚の海が近づくと、風車がちらちらと見え始めた。瀬棚で有名な海中風車だ。このあたりの農協青年部の描いた看板はなかなか味があって、風車を見たり、看板を見たりと、ちょこちょこ立ち止まって写真を撮っていた。

 12時過ぎに瀬棚の市街に入ると、すっきりと晴れてきた。今回の旅、しまださんに「晴れていたらぜひ瀬棚の立象山へ行くとよい」といわれていたので「瀬棚で晴れますように」とずっと祈っていた。祈りが通じたのかこの青空! いつまた雲がかかるかわからないので、晴れているうちにさっさと立象山に上ってしまおうと、手前のセイコーマートでお弁当を買い、山の裏手から10%の勾配で登っていく。

 立象山頂上からは、教えられたとおりのパノラマをのぞめた。逆光になって写真はイマイチだけれど、晴天に感謝感謝である。洋上風車の「風海鳥」もしっかり見ることができた。ここも熊石と同様「青少年旅行村」なのでコテージがあったが、シーズンをはずしているので一家族しか使用していなかった。
 お弁当を食べているうちに、また雲がかかってきたので下山。時間があれば山の周遊道(立象山パノラマ線)を走ってもよかったのだが、まだあと40キロ以上、島牧まで走らなければならないので上ってきた道を引き返し海岸沿いまで下りた。

 瀬棚で有名なのは「三本杉岩」だ。20年前に来た時は、海岸からすっきりと見えたように思ったのだが、今は堤防がはりめぐらされていて、あまりよく見えなかった。北海道南西沖地震の津波被害をきっかけに、港が修繕されたのだと思う。このあたりは新しい堤防や、山へ非難できる非常階段が崖に数多く設置されたりと、津波の教訓が生かされているように見えた。

 瀬棚の市街を抜けると、海岸にはまた奇岩が並ぶようになる。今走ってきた瀬棚を振り返ると、三本杉岩や風車がよく見える。熊石方面からよりも島牧方面から見る方が、瀬棚は景色がよい。ここらあたりは「ツーリングマップル」でもお勧めとなっているように、また険しい景色が続く。海には「窓岩」とか「獅子岩」とか並び、道は覆道やトンネルが続く。島歌の集落には路線バスも通っておらず、北海道の中でもかなりの僻地である。島歌郵便局がぽつんと建っていたが、集落から離れており、さびしげに見えた。

 茂津多岬には周遊道路がなく、海岸線を離れ山道になる。茂津多トンネル前に立派なトイレがあったので一休み。ここから左手に激坂を上っていくと、日本一高いところにある茂津多岬灯台(290メートル)となるのだが、そんな高いところに上る元気があるわけもなく、茂津多トンネルへ突入。このトンネルの中間が、せたな町と島牧村の境である。せたな町は3町が合併したせいもあるが、非常に広い。

 島牧村になると、海岸線がさらに厳しくなる。断崖絶壁で長距離トンネルの連続である。積丹を思い起こさせる景色である。トンネルには自転車で走れるような広い歩道はないが、車がとても少なかったので楽に走れた。これだけ厳しい土地なので、おそらく、島牧と瀬棚とは、あまり交流がなかったと思われる。路線バスがないのも、支庁が檜山と後志と分かれるのも、交流がなかったためだろう。

 白糸トンネルを抜けるとロングトンネルはなくなった。白糸の滝はトンネルに妨げられてよく見えない。旧道ならば見えただろうし、海には奇岩もあったようだが、旧道はしっかりと閉鎖されていて走れなかった。
 このあと、向かい風がものすごく強くなる。モッタ海岸には温泉があり、露天風呂に入っているおじさんたちが丸見えだ。ここの温泉に泊まることも考えたけれど、島牧村とはいえ中心街からはかなり離れており、翌日の走行距離を考えて断念した。でも、温泉、気持ちよさそうでうらやましかった……
 ここから島牧YHまでは10キロ。向かい風と戦いながらの走行である。時速10キロを切ってしまい「いつになったら到着するかいな?」と不安になる。ここで路線バスが復活。バスはニセコバス。もう、函館バスじゃないのだ。檜山じゃないのだ。走っている地域が変わったことを実感した。

 原歌の集落には、よさげな感じの民宿が並んでいた。ここらあたりの宿泊も考えたのだが、やはり翌日の走行距離を考えて断念。だんだん町がにぎやかになってきたところで、ようやく島牧YHと隣の「道の駅 よってけ!島牧」が見えてきた。
 時刻は17時前。道の駅は19時までやっているはずが、今日はお祭りで、そのあと祭りの主催者がレストランで宴会を行うようで、17時閉館だった。ぎりぎりでスタンプが押せた。先にYHに行っていたら間に合わなかった。

 さて、YHに泊まるのは15年ぶりである。最後に泊まったのは真鍋島YH(岡山県笠岡市)だ。北海道のYHもあちこち泊まったが、いまはどこもほとんど残っていない。
 YHの記憶は「スリーピングシーツ」「食後の皿洗い」「家族であろうと男女別室」「酒は禁止」だったので、恐る恐る行ってみたら、これが非常にきれいな、普通のペンションだった。よく見ると「ペンション及びYH」だったので、私たちは「ペンション部」に泊まったということだろう。部屋はトリプルでもちろん茅沼氏とも同室、普通のきれいなベッドでふかふかのふとんだし、食事はフルコースでワインも頼めるし、お皿も洗ってくれる。びっくりの連続である。島牧YHは特別きれいなんだそうだが、またYHの会員を復活させてもいいかな、と思った。今度は「家族パス」かな。
 夜は談話室で例のMTBの青年と、あれこれ語り合った。青年は、北海道沿岸部を20数日で一周するという。うらやましい限りだ。また、21時からはYHらしくミーティングがあって、ツーリング中は21時過ぎには就寝としているけれど、ちょっとだけ参加。楽しい夜であった。

 島牧YH(一般利用+個室) 1泊2食 6090円。
 島牧ワイン1本1500円。 ボトル裏面に「島牧村長」による原産地証明付きです。