05/08/19 道北ツーリング7日目

2018年3月6日サイクリング

8/19(金)晴れのち曇りときどき雨 天気不安定 72km
浜頓別-88高地-中頓別-敏音知-天北峠-音威子府・・・旭川
 この日、天気は「曇りで不安定」との予報だったが、朝起きてみると晴れていた。7時過ぎに、クッチャロ湖の写真をとりに、湖畔まで降りていく。キャンプ場では、ライダーたちが出発準備中だった。
 8時20分に出発。音威子府までが今日の予定。そこから先は鉄道で輪行し、旭川に泊まる。自転車での走行距離が60キロと短いので、ちょっと寄り道して88高地へ行くことにした。クッチャロ湖や浜頓別の町が見渡せる小高い丘だ。かつて浜頓別ユースホステルでは「88高地ツアー」なるものがあったと聞く。

 浜頓別の市街をすぎると、すぐに広大な牧場が広がる。車道をそれ、ガレガレダートを丘をめざしてのぼる。やっぱり走ることはできず、自転車はひっぱっていく。

 88高地からは、クッチャロ湖大小二つとも展望できた。たんぽぽの咲くなだらかな丘は、外国映画に出てくる場所のよう。雰囲気的には「赤毛のアン」とか「世界名作劇場」みたいな感じだ。麦藁帽子をかぶせた少女を走らせてみたら、結構絵になると思う。この丘のてっぺんに立ったときだけ、太陽に雲が隠され、今ひとつ写真の色合いが悪いのが残念。

 ガレガレダートでも、さすがに下りは自転車に乗ることができる。車道に出て、浜頓別と下頓別の三叉路で下頓別方面へ右折。三叉路では、旗を振って工事のトラックを誘導している人がいて、何台かのトラックに追い抜かれた。

 まもなく国道275号と合流。国道は道の状態は非常にいいが、いまひとつ景色に面白みがない。国道とほぼ並行して天北線がとおっていたので、遺構を探しながらの走行となった。

 旧下頓別駅は、プラットフォームがきれいに保存されていた。駅名標もピカピカだったので、町の人が意識して残していることがわかった。

 駅跡以外に、わりとよく残っていたのが鉄橋だ。小さな川にかけられていた鉄橋は、ほぼその跡をとどめている。寿駅(国鉄時代は仮乗降場)跡付近の鉄橋は、きれいな形で残っていた。ただし、今は牧場と一体化していて、遺構の下に牛がねそべっていたが。これがなんであるかなんて、牛には関係のないことだ。

 旧中頓別駅は、立派なバスターミナルになっていた。ターミナルのすみには、やはり「天北線メモリアルコーナー」があった。駅前の広場には、国鉄時代のコンテナが一つ、置かれていた。

 旧松音知(まつねしり)駅は、駅舎が保存されていた。廃止駅としては、最北の保存駅だそうだ。管理人さんがきちんと管理していて、駅への思いを綴るノートも置かれていた。天北線への地元の人たちの思いを垣間見た気がした。

 さて、「天気が不安定」とのことだったが、朝は晴れていた空も、予告どおり、十一時頃から黒い雲に覆われ始め、旧松音知駅で大粒の雨が降ってきたので、そばのバス停で雨支度をした。ゴアテックスの上着を着たが、この雨は一時的なもので、すぐにやんだ。暑いので、上着はすぐにぬいでしまう。

 敏音知(ぴんねしり)駅跡には駅の雰囲気はほとんど残っておらず、道の駅「ピンネシリ」となっていた。ここは、ピンネシリ岳登山口ともなっている。道の駅には食堂はなかったが、道路の向かいにはピンネシリ温泉があり、となりはドライブイン。「ライダー・チャリダーのための大盛ランチ」となっている。私らも「チャリダー」であるが、すでに中年なので、もうあまり大量に食べることはなく、また、音威子府駅で有名な音威子府そばを食べる予定だったので、昼は軽くすませることにする。「たこやき・カキ氷ショップ」でたこやきを食べた。

 ピンネシリあたりから、また、時折ぱらぱらと雨が降り始めるが、すぐに止むので、特に雨に対する装備はせずに進む。旧小頓別駅もまた、立派なバスターミナルになっていた。駅前には風格を感じさせる建物(旧丹波屋旅館)があり、往時を偲ばせる。このレトロな建物、登録有形文化財だそうだ。上頓別駅跡(ほとんど何も残っていなかった)と、この旧小頓別駅付近を走っているとき、マラソン及び徒歩で旅をしている人、三人とすれ違った。何かをアピールするために歩いていたのだろうか? 「歩いて旅するなんて!」と、またまたびっくり。道北には、本当にいろいろなスタイルの旅人がいるものだ。

 旧小頓別駅をすぎると、まもなく天北峠にさしかかる。天北線はトンネルを通っていたが、国道は峠を越える。峠を登り始めたとたん、本格的に雨が降ってきた。ゴアテックスの上着を着ただけの状態で、大粒の雨がふりだし、すぐに土砂降りに。峠道なので雨宿りする場所もなく、下のズボンをはいたり靴カバーをかけることもできなかった。仕方なく、そのまま走り続けることに。

 結局、峠までと、峠を過ぎての約10キロ、大雨の中の強行軍となった。止まることも戻ることもできない。上半身だけは、ゴアテックスに守られほとんど濡れることはなく、また、半ズボンはたくしあげることで濡れるのをふせいだが、靴下と靴とグローブは……あわれなほどにぐしょぐしょになった。こういう事態を想定して、ズボンも靴カバーも防水グローブも持ってきていたのに…… 雨に対しては早めの防備が必要であると痛感した。

 音威子府の町が近づくと、雨が上がったので、市街までの数キロの間に、かなり体は乾いた。そのうち空は晴れ始め、「いったいなんだったんだ? あの峠の雨は?」状態に。「道の駅」に寄ったあと、音威子府駅へ到着した。雨のためにものすごい勢いで峠をのぼって、ものすごい勢いでかけおりたため、予定よりも30分早く、14時半すぎの到着だった。

 駅舎内で、ぬれた体や上着をふいて、ようやくほっと一息。お目当ての音威子府そばをいただく。何度も食べに来ているが、やはりここは「日本一の駅そば」だ。音威子府は、そば栽培の北限。真っ黒な音威子府そばは、コシが強く、そば粉の香りもたっぷりだ。

 音威子府駅は、かつては鉄道の要所だった。けれども、天北線が廃止され、一気に寂れたような気がする。駅前の食堂や商店は、ことごとくつぶれていた。そのため、音威子府駅の駅そばを食べに来る人が後をたたない。ここだけはにぎわっていた。ちなみにこの音威子府そば、麺は駅だけでなく、国道沿いの商店でも販売しているし、今はインターネットでも買える。駅そばだと多少やわらかくゆでられてしまうが、生そばを買えば、お好みの硬さで食べることができて大変美味。今回も、お土産用に生そばをひと束買ってきた。最近では、より保存のきく乾麺もあるようだ。

 15時45分、特急「サロベツ」に乗車した。旭川駅までは2時間弱である。「サロベツ」には、夏休み期間だけ「お座敷車両」がついている。しかも自由席。もちろん指定などとらず、お座敷車両に乗った。お座敷列車初体験である。混んでるかなと心配したが、お座敷車両に乗る人は意外と少ない。畳に掘りごたつ、座卓というもので、普通の車両よりのんびりできたが、たとえば稚内から札幌までとか、何時間も乗るとなると、座卓よりは通常の座席の方が疲れないのかもしれない。

 天北峠の大雨が嘘だったかのように、車窓は晴れている。音威子府駅の次の停車駅、美深駅を過ぎると、窓の外にわーっと田んぼが広がった。この光景には、いつも感動する。「道北」の風景が一変するのだ。美深は米作の北限だ。

 車内放送では、停車駅の案内の間に、その日行われていた高校野球準決勝「駒大苫小牧VS大阪桐蔭」の試合経過も、車掌さんによって放送されていた。北海道民にとって、駒大苫小牧は特別な存在なのだ。豊かであると同時に厳しい自然環境・生活環境にある北海道。だからこそ、道民には、我々内地の人間には決して計り知ることができない、内地の尺度とは異なった「絆」があるのだと思う。(駒大苫小牧の優勝が取り消されなくて本当によかった)

 本日の宿は、航空券とセットになっていた
「旭川パレスホテル」
。道北の旅館・民宿を回ってきた身には、異常に立派に見えるシティホテルである。もう少し普通の宿でいいから、安くしてほしかったなぁなどと思ってしまう。ホテルのスパ(宿泊客は4分の1の料金で利用可能。通常料金だったら、とても高くて入る気がしなかった)で汗を流し、市内の居酒屋へ夕食に出かける。なるべくパンフレットなどに載っていない店をさがしたところ、
観光客向けじゃなくて普通の居酒屋
に入ることができた。料金も安く、量も多く、そしておいしく、見た目もきれいな料理で、今日の居酒屋は大当たり!

【付録】天北線の駅は以下のとおり(国鉄時代の仮乗降場や臨時駅も駅としています) 全長148.9km
南稚内駅-宇遠内駅-声問駅-恵北駅-樺岡駅-沼川駅-曲淵駅-小石駅-鬼志別駅-芦野駅-猿払駅-浅茅野駅-飛行場前駅-安別駅-山軽駅-浜頓別駅-常盤駅-下頓別駅-新弥生駅-寿駅-中頓別駅-上駒駅-松音知駅-周磨駅-敏音知駅-恵野駅-上頓別駅-小頓別駅-上音威子府駅-音威子府駅