■16/7/3新規追加
文:高森千穂
函館どっく。かもめの水兵さん♪
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この日はもう、帰らなくてはならない。私は翌日から出勤しなくてはならない。
それなのに、北海道へ来てからこんなにいい天気の日は初めて。空は真っ青。雲もほとんどない。サンサンと太陽が輝いている。ああ、それなのに、今日の11時半の電車で帰らなくてはならないのだ。会社さえなければ、もう一泊したのに、くぅぅぅぅぅと涙をのむことに。サラリーマンは辛いっす(泣)
まずは、旅館の部屋(10階)から、函館湾と函館山の写真を撮る。(写真左)
ゆっくりと豪華な朝ごはん(朝からイカソーメンを食べてしまった!)をとり、9時前に旅館を出発。海岸沿いの278号をのんびりと走る。
途中、「啄木小公園」で、再度函館山と記念撮影。ほんとに、なんで帰る日に限ってこんなに天気がいいんだ!(写真中)
函館山のとったん、立待岬へまずは向かうことにする。(写真右の、細長い岬部分)
立待岬に来るのは、高森は2度目だった。前回はたしか、1987年。大学の卒業旅行に、北海道へ一人旅に来て、3月10日頃にここに立ち寄ったように記憶している。まだ雪がたくさんあって、観光客など一人もいない、断崖絶壁のさびしいところだった……しかもわざわざ、夕暮れ時に夕日を見に行ったんだっけ……市電の谷地頭駅から歩いて……と、記憶を紐解く。
けれども今日は、夏休みの観光最盛期。しかも絶好の天気。明るく健康的な場所だった。16年前にくらべて、岬はきれいに整備され公園のようになっている。青い海がまぶしかった。沖合いをフェリーが走っている。大間行きのフェリーだろうか。船からも、この岬の様子がはっきりと見えるのだろう。さぞかし気持ちいいことだろう。ああ、今回の旅行、私たちの船旅はあっけないものだったなあと、またも涙をのむのであった。
このあとは、函館の観光スポットを走る。坂の多い街なので、自転車で回る人は少ない。美観地区は車の乗り入れも禁止。なかなか快適なお散歩サイクリングだ。
坂の上から函館港を見下ろし、旧函館区公会堂(写真右)で、またまた記念撮影。天気がいいと、あっちでもこっちでも写真を撮りたくなってしまう。
天気の悪い今年の夏、この日はほんとうにめずらしいぐらいの晴天だったらしく、土産物屋の呼び込みをやっているアルバイトらしき少女でさえ、携帯電話で写真をとっていた。
観光メインスポットを通り過ぎ、函館山の裏手、外人墓地の方へ。外人墓地のさらに奥は、普通の霊園になっている。折りしもお盆前。墓参の人たちの車がどんどん押し寄せ、道沿いの花屋は大繁盛。お墓へ行っても仕方ないので、海沿いの道へ降りていき、海水浴場へ。
ここもまた、すばらしい景観。海水浴場らしいが、水は冷たいので、「泳ぐ」というより「磯遊び」をする、という感じ。自転車をおいて写真を撮っていたら、自家用車で通りがかった中年の夫婦に声をかけられる。
どこから来たかと聞かれたので、「神奈川県の藤沢」と答えると、「ああ、箱根駅伝の通る町ね」と言われる。「この道は、岬の突端(立待岬)へ通じていたんだ。かつては、集落もあったんだべよ」と、おじさんが教えてくれた。目の前の道は続いていたが、柵でふさがれ、先に進めないようになっている。理由は「密漁」が絶えなかったために、地元の猟師の人たちがふさいでしまったのだそうだ。私はてっきり、がけ崩れの危険があるから、道が閉鎖されたのかと思ってのだが……
海をながめながら、函館どっく方面へもどっていく。このあたりは静かな漁師町といった風情。磯の香りがして、民家の玄関先には、海を感じさせるもの──網だったり釣竿だったり干された海藻だったり──が見える。ここらあたりは、北海道というより、東北の日本海沿いの村、といった雰囲気だ。北海道の家特有の、煙突がついていないせいだろうか。
函館漁港でイカ釣り船を見て、函館どっくを見学。自家用車の場合、函館どっく付近の埠頭を走ることはできないらしいが、自転車なのでとくにとがめられることはなかった。函館どっくから函館山を見上げるのもまた、いい感じである。旅行ガイドでは函館山ふもとの坂から港を見下ろす写真が多いが、逆の感じもなかなかいいと思う。
そろそろ11時なので、函館駅へもどろうと、赤レンガ倉庫をながめながら最後の走りをする。赤レンガ倉庫は、今は土産物屋やレストランになっている。横浜の赤レンガ倉庫と同じだ。(というか、横浜の方が後発である)時間があればここで地ビールなどを楽しみたいところだけれど、またも涙をのんで函館駅へ向かう。
昨晩は「早く湯の川温泉へ行かなきゃ」ということで、写真もとらずに後にした函館駅だが、今日は記念撮影。駅前が整備されればまた違った趣になるのだろうが、この姿はあまりにもさびしすぎる。
かつては、青函連絡船の乗り場への長い桟橋があったのに。「北海道への第一歩」として、胸をわくわくさせるムードがあったのに。「北海道の玄関口」として、どっしりとした顔を持っていたと思ったのに。これではあまりにも特徴がないのではないか?
どこかの駅に似ていると思い返して、「そうだ、今の高松駅に似ている」と思いついた。高松駅(香川県)も、宇高連絡線が通っていて、かつて本州と四国を結ぶ駅として栄えていた。どちらも「連絡線が廃止」という点で同じだ。
でもこれが、時代の流れというものかもしれない。地元の人たちにとって使いやすくなれば、そして、乗客が増えれば、それでいいではないか。部外者が過去の感傷をいつまでも引きずっていたって、なんのプラスにもならないだろう。
駅構内のきれいな売店で駅弁とビールを買って、八戸行きの特急「白鳥」に乗る。
ほんとは、新車789系「スーパー白鳥」に乗りたかったんだけどね。私が乗ったのはただの「白鳥」485系。現在ではカラーリングこそさまざまだけれど、伝統的な特急車両だ。(鉄チャンの間では「けっ、485か」と言われる車両である) しかも、このデザイン、「はやて」開業で廃止された「はつかり」の車両ではないか。それはそれで貴重なのかもしれないけれど。「485」と、堂々と書かれた数字が、なんか、開き直りに見える(^^;
「白鳥」は、本州目指して北海道の南端部を快調に走る松前線から眺める函館山。美しいですね。でも、ほんとは、線路に並走する道路を自転車で走りたかった。さぞかし気持ちがいいことだろう。
かくして、「白鳥」津軽海峡線をこえて本州へと突き進み、八戸へ到着するのであった。
八戸で東北新幹線「はやて」に乗り換え、東京をめざす。函館-東京は、わずか六時間半!! もうもうこれは、驚異に値する数値である。かつて、北海道へ渡るということは、それこそ「一日仕事」みたいな感覚があった。東京から盛岡まで新幹線に乗って、そこから特急に乗り換えて、青函連絡船に乗って……と。それがたった一度の乗換えで、たった六時間で東京駅まで到達してしまうのである。でもその分、車窓はあまりにも早く飛び去り、あまり「車窓を楽しんだ」という気はしない。
けれども、明日の朝からはまた、会社で働かなきゃいけないんだもんね。こういう「高速移動」も仕方ないよねと、わが身に言い聞かせつつ、大切なものをどこかに置き忘れてしまったような気がする私だった。
ちなみに、この日の総走行距離は20キロ弱であった。