(2016/07/03)新規追加
ルート図
2004年12月19日
許田-道の駅許田-宜野座-金武-石川-具志川-勝連城跡-海中道路-平安座島-浜比嘉島-沖縄石油基地-宮城島-伊計島-ビックタイムリゾート伊計島88Km
■12月19日 曇
中日の2日目は島の東岸へ移り、金武湾をぐるりと回り与勝半島から海中道路を通って伊計島まで行く。
日の出は遅く7時過ぎ。ゆっくりとご飯を食べて8時30分にスタート。昨日の続きとなる海岸線を進んで許田へ。ルートはここから峠越えだが、名護方面へ1Km先にある「道の駅許田」まで往復する。
許田地区まで戻って沖縄自動車道に並行する道で標高100mの峠を越える。
峠で宜野座村に入り(09:37)東岸まで下って国道329号に入る。
1Kmほど先の交差点で左の県道に入る。予定のルートではなかったが、新しくできた道で、車もほとんど走らない快適な道が続いたが、途中で畑の中の道にひかれてまたまたルート変更。
福地川河口の橋の上からは、今日のルートの平安座島、宮城島、伊計島が見える。ここから金武湾をぐるりと回る。金武大橋を渡り(10:45)、金武の街へ入る。右側はキャンプハンセンである。市街の歩道は段差が多いため車道へ移るが、十分な広さの路側帯である。
道は海岸へ出た。東岸に出てからここまであまり海沿いに道はなく、久しぶりの海沿いの道を行く。石川市に入ると歩道の真ん中でかわいいシーサーが迎えてくれる。石川市役所の近くの食堂で、沖縄そばとやき飯の昼食。
食事後12:30に再スタート。走り始めてすぐ、シャツ1枚では涼しくなってきたので長袖を着用。午前中より雲が厚くなってきている。
海から離れて与勝半島の背骨部分を行く。具志川市に入り細かなアップダウンが連続する。事前に地図で標高をチェックしても、このように微妙な上り下りはなかなか分からない。具志川市の中心街を通り抜け、休みなく走ってきてくたびれてきたが、右手の山の上にこれから向かう勝連城跡の石垣が見えると足に力が入った。
勝連城跡は山の麓に駐車場が整備中であるが、上にも駐車場があり自転車で急坂を登って到着(13:40)。勝連城跡は、昨日の座喜味城跡よりスケールが大きく、断崖にそびえる姿には迫力がある。最上部からは北側の金武湾、南側の中城湾、海中道路と東側に点在する島々が見渡せる。
与那城町へ入り、町役場の交差点から海中道路へ(14:20)、まっすぐの広い道を前方にそびえる橋脚に向かって走る。
道路が作られている半島側の屋慶名と平安座島の間は約4Kmの距離であるが、干潮の時浅瀬でつながり、かつては歩いて渡ったそうだ。また、車でも渡ることができたそうだが、1972年、石油備蓄基地建設のために道を作ることとなり、工事は35日で完成した。しかし、海流を妨げてしまったことで環境への影響が大きく、1999年までに途中に2箇所の橋を作り、また4車線化して現在の形に改修されたそうだ。
水中道路の中間地点にある「道の駅あやはし館」で一休み。海ではウィンドサーフィンがいくつも帆をなびかせている。
右に少しカーブして海中道路の後半を走り終えると平安座島である。街中の細い道を経由した後、浜比嘉島へ寄り道するため浜比嘉大橋(全長1400m)を渡る(15:05)。橋の中央部では東からの横風が強くあおられる。
浜比嘉島は西の浜地区、東の比嘉地区、南の兼久地区がある。街の中心部は細い道の両側に白壁が建ち、伝統的な家が並んでいる。沖縄らしさが漂っている。
比嘉地区を通って、島の南端、兼久地区をさらに奥に進むとシルミチュー霊場に到着した。階段を数十段上り、洞窟の中に霊場がある。何も知らないで来た場所だが、とても神秘的であった。
西の浜地区へも立ち寄り、海水浴場と街中を走ってみる。こちら側は家も多く、にぎやかで海水浴場も整備されている。
平安座島へ戻り、宮城島、そして伊計島へ向かう。平安座島と宮城島の間は石油基地建設のために埋め立てられた。基地の横の2Km直線道路を走り、カーブしてからさらに1Kmほど、島の間に残された水路を渡る短い橋の先が宮城島である。東岸を周る道で島の北側へ。この区間は人気がなく時おり車とすれ違うくらい。北側に入ると左手の高台に街が現れ、右手の海の先には伊計島が姿を現した。
真っ赤な伊計大橋を渡ると今日の目的地の伊計島。街は島に入ってすぐであるが、今日宿泊する伊計島ビックリゾートは島の北端にある。さいはての地に着いた感じである。(17:15)
ホテルには高校生の修学旅行の団体が入っていて、私たちはコテージに泊まることとなった。ちなみに修学旅行以外の客は私たちだけであった。