松前-江良-小砂子-石崎-上ノ国-江差-乙部-熊石
106km 曇のち雨
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本日の天気予報は「午前中曇。午後から雨」の予定。早めに朝食を済ませて、7時半に宿を出発した。
海岸沿いの国道228号を進む。松前の西の高台を越えるとすぐに「松前矢越道立自然公園」の看板のある折戸浜に出る。
国道の交通量は少ないがトラックは結構通っている。漁港=集落は国道から離れた脇道にあるので、やはりここは集落に入る。札前、静浦、清部と、脇道に入って海ぎりぎりの集落に寄っていく。沖には松前小島の影が見える。
集落にはどこも水産加工工場があり、おばちゃんたちがせっせと働いている。工場内にイカがずらっとつるされているのが、工場の外からも見える。
集落を離れると、民家も牧場もなく、荒涼とした風景が広がる。北海道らしい風景だ。ちなみに、松前を過ぎると、次に民宿があるのは江良の集落。20キロも先で、かなり離れていた。昨晩は松前の市街に宿をとってよかった。
国道228号は別名「追分ソーランライン」、松前町では「桜松街道」とも名付けられている。
原口の集落へ。原口は松前町最後の集落だ。集落の中にある原口小学校の窓には「さよなら」「ありがとう」の文字が貼られていて、創立125年にして来春閉校とのことだ。あちこちで見てきた光景だが(昨日見た千軒小学校も廃校になっていた)、やはりさびしいものだ。玄関横には、なぜか、空のビール瓶が何本もケースに入れられて置かれていた。先生方が宴会をしたのか、8月のお盆時期の同窓会のときに使ったものか。
国道に戻ると、70~80メートルほどの高いところを、荒涼とした景色の中を走ることになる。地形が険しいため、海沿いには道が作れないのだ。ただしトンネルは少なく、入り江の上を越える橋が多い。古い道なのだろう。
パーキングで、赤シャツを着たMTBソロの若者にあったので挨拶。若者はパンの軽食をとっていたので、私たちはそのまま先に進んだ。
願掛沢でお隣の上ノ国町となる。長さ1000mを越える小砂子トンネルには入らずに最初の集落小砂子へ。高台の日方泊灯台から港を眺めると、工事をしている様子が見えた。小砂子小学校は現役で、海岸線沿いの集落から小学校への階段はシェルターつきであった。
ここで野ネズミ?が路上で丸まっていた。
地図では「ラスタッペ岬」というのがあり、海岸にでることができるのかな、と思っていたが、ここあらあたりの海岸線と道路の間には原野が広がっており「ヒグマ生息」の看板が。恐ろしくて近づけなかった。
次の石崎の集落で雨が降り始める。「ついに来たか! 予定より早い」と思い、雨装備をして走り出したが、雨はすぐに止んだ。昨日よりは涼しいとはいうものの、ゴアテックスのズボンは汗でひざにはりつき、はいたまま走れたものじゃない。上着は薄手なので、とりあえず、上着だけ着て走ることにした。
汐吹地区は国道から離れて集落の中を行く道が長く続いている。朝からいくつか郵便局を見かけたが、こちらの郵便局は早々に民営化準備が進んでいるようで、どこも看板には白い布がかけられている。
国道に戻ると行く先に洲根子崎灯台が現れ、このあたりでは馬の放牧も見られた。道の駅手前の原歌の集落に寄ろうとしたが、高台を行く国道からはかなりのダウンアップになるのを見てしまったのでパス、ちょうど昼すぎに「道の駅 上ノ国もんじゅ」に到着。ここらへんは、風がすごく強い。風車が丘で回っていたが、これだけ風が強ければ、電力もバンバン生み出せるのではないだろうか。
道の駅では、先ほど二越のパーキングで会ったMTBの若者がいた。小砂子のトンネルを通ったというので、私らが灯台あたりで休んでいたときに抜かされたらしい。「どこへ行ったのかと思っていました」といわれた。今日は「熊石泊」とのことで、目的地は同じ。私たちはここで昼食をとる予定だったので、若者を見送る。
シーフードレストランでは、シーフードパスタを注文。うどんのような麺だったが、えびやたこなど海の幸は豊富。おいしかった。
道の駅を出発しようとしたとき、また雨が降り始める。が、またまた、すぐに止んでしまう。雨が降る前は風向きが変わり、強くなり寒くなることがわかった。
天の川橋を渡り、上ノ国の市街へ。それまで、地上から70~80メートルのところを走っていた国道も、海岸のすぐ近くを通るようになる。上ノ国駅に寄ったが、ここも公民館が併設されている。正確には駅がオマケで併設されている、という方が正しい状態である。北海道の鉄道は壊滅状態か?
市街を抜け海岸線に戻ると、海の向こうに先ほど行った「道の駅 上ノ国もんじゅ」が見えた。そして、江差町へ。海岸線に近い鉄路を単行の列車が走って行くのが見えた。
江差市街では、まず高台にある江差駅を見に行った。臨時改札口もありかつてはかなりにぎわった駅のようだが、今はすっかりさびれている。ただ、町外れではなくわりと町の中心地に近いところにあり、駅の前にはコンビニもあるのが救いだ。
江差町のシンボル、鴎島の手前には、開陽丸が展示されている、戊辰戦争で沈没した船を30年前にサルベージしたもの。幕末・明治初期の歴史に興味がある人は見学するだろうが、こちらは先も急ぐ旅、外観だけ眺めることにした。
その後、江差のいにしえ街道へ。江差の昔の街並みを再現したとのこと、最近あちこちに出現している「美観地区」である。だが、表だけ化粧して裏は昔のまま、という建物もあった。
江差からは、国道は228号から227号に変わる。函館方面につながる道なので交通量がぐんと増える。江差の町のはずれに「道の駅江差」があるが、ここはとても小さかった。トイレと売店のみで、こんな小さい道の駅は初めてだ。駐車場はとても広かったが。
江差と厚沢部の町境付近は、郊外店でとてもにぎやかで、ここだけは都会の郊外のような雰囲気である。厚沢部町のカントリーサインがかわいいので、ちょっとだけ町境を越えて撮影。厚沢部はメークイン発祥の地で、メークインをデザインした「おらいも君」というのだそうだ。
厚沢部町には100mほど寄っただけで国道229号に入り、五厘沢温泉の先で乙部町に入る。中心街を抜け、館の岬トンネル前で雨が降り出した。今度は今までの雨とは違い本格的だ。暑いので合羽だけ羽織り、下はぬれるのを覚悟ではかなかった。館の岬は整然とした断層面が連なる、なかなかの景観。乙部の名所である。雨が降り出したのがつくづく残念である。
突符岬の小高い丘の上にある「道の駅ルート229元和台」で一休み。道路では10数キロ手前からこの道の駅の宣伝があちこちで見られたが、ここもとても小さい。トイレはきれいだが売店は小さくレストラン等はない。元和台には、手前に大きなレストランがあったのでそのせいかもしれない。
今日の宿は、熊石のひらたない温泉・国民宿舎ひらたない荘。あと20キロである。がんばって走るしかない。このあたりは景色がいいところらしいが、雨でよく見えないし、雨と戦いながらとにかく走ることに一生懸命で、鮪の岬(しびのさき)もあっという間に通過して楽しむところではない。
豊浜トンネルの真ん中が、乙部町と八雲町の町境である。熊石町は支庁を越えて、内浦湾沿いの八雲町と合併してしまったのだ。おかげで檜山支庁は分断されてしまった。「八雲」というと、どうしても内浦湾のイメージしかないので、わかっていてもぎょっとする。混乱をまねくためか、「八雲(旧熊石)」と、必ず「熊石」と表記されている。
新八雲町のカントリーサインは牛とあわび。もちろん、牛は旧八雲、あわびは旧熊石である。熊石はあわび養殖で有名なのだ。
ちなみに、トンネルの出口には、八雲・乙部の双方のカントリーサインがついていた。トンネルの真ん中で町境なのだから仕方ないだろう。
八雲(熊石)町に入ったころから雨脚が強くなる。あと10キロ弱なのだからと思ってそのまま走り続けたら、ずぶずぶになってしまった。せめて足カバーをしておけばよかったと後悔。
ひらたない温泉は、熊石市街の手前から、山間部に80メートルほど上る。今日は105キロと走行距離も長かったせいもあるが、この上りが一番つらかった。周囲は「熊石青少年旅行村」でキャンプ場やコテージがあり、ぽつぽつ車も止まっているが、この雨では大変だろう。
17時前に、ようやくひらたない荘に到着。日帰り温泉「あわびの湯」を併設していて、国民宿舎の宿泊者もこちらの温泉に入る。広くてよい温泉だった。国民宿舎も古い造りではあるがきれいだったし、洗濯機・乾燥機も完備されていて助かった。社内旅行(?)の団体が泊まっていてほぼ満室、大変にぎわっていた。食堂は団体専用になっていて、私たちは部屋食。部屋食の温泉旅館なんて久しぶりだ。
夕食を食べ終わったころから、さらに雨は強くなり、窓を開けていると雨音でTVの音が聞こえにくいほどだった。後志には大雨洪水警報が出ており、予定よりも早く前線が通過しているようだ。
国民宿舎ひらたない荘 1泊2食 7100円。
これはスタンダードの食事だが、シャケのチャンチャン焼きや三平汁がおいしくボリュームもあった。ちなみに13900円出せば、あわびのフルコースが食べられるのだとか。(高いけれど人気だそうです)