8/17(木)雨のち曇りのち晴れ81km
昨晩の天気予報では曇りとのことだったが、朝起きると、やはり雨が降っていた。霧も出ているし、雨もやみそうにないので、残念ながら、クッタラ湖は今日もあきらめることにした。
朝風呂、朝食のあと、8時すぎに出発。旅館から一キロほどのところにある大湯沼を見に行く。ボコボコ高温のお湯が沸いている様に、なるほどこれだけ湯量が豊富ならば、巨大なお風呂も作れるなあと思う。
幌別駅目指して、山を下る。雨はますます強くなり、霧も濃くなり、見所である新登別大橋からも、何も見えなかった。さらに向かい風だったので、もろに顔に雨がふきつけ、びしょびしょになった。ゴアテックスの上下を着ているから暑いし、さんざんである。
ちなみにゴアテックスの靴だが、雨が強くなると、ズボンからしずくがしたたるのと、道路からのはね返しで、靴とズボンの間のわずかな隙間がぬれてしまう。なので、やはり、小雨以上の雨の場合は、ゴアテックスでも靴カバーがいる、という結論に達した。(足首近辺だけがぬれて冷たかったので)
登別温泉から200メートルほどおりて、幌別駅に着いた頃には雨はやんだ。町の中は、たいした雨が降った様子はない。やはり、登別温泉は、山の上なので雨が降りやすいらしい。
幌別から道道782号上登別室蘭線で東室蘭へ向かう。いまにもまた、雨がふってきそうな空の下、東室蘭駅に到着した。少し空が明るくなってきたので、ゴアテックスの上下はここでぬいでしまった。これで、ぐっと走りやすくなった。
天候は悪いがまだ10時半なので、予定通り、地球岬へ行くことにする。岬の尾根沿いの道、国道919号をはしる。住宅街の中の細い道なので、「本当に地球岬へ行くのだろうか?」と思う車が多いのか、「地球岬」の案内板が数百メートルごとに立てられている。
標高をあげるにつれて、霧はどんどん濃くなり、そのうち視界10メートルぐらいになってしまった。まわりはやはり住宅街で、霧の中にぼんやりと民家が見える。しょっちゅうこんな霧が出るようでは、洗濯物もろくに干せないだろうし、よく見えなくて不便だろうし、暮らしにくいんじゃないかなあ、などと思ってしまった。天気がよければ、それこそ「絶景」をのぞめるのだろうけれど。
地球岬も濃い霧の中で、海面などまったく見えなかった。すぐ足元にある灯台がなんとなく見える程度。東室蘭から200メートル近くのぼったのけれど……くたびれただけであった。
ところが、室蘭をめざして岬の西側にまわったら、ふいに空が明るくなり日が差した。ふっと霧が晴れ、チャラツナイ展望台から、断崖絶壁と青い海と奇岩が見えて、すごくびっくりした。この景色が見られただけでも、来てよかった、と思うことにした。
風向きのせいか、高度がさがったせいか、室蘭の町についたときには、霧はすっかり晴れ、天気もうす曇りに回復していた。ただし、丘の上を見上げると、やはり霧がでていたが。
駅前のデパートのファーストフード店で、手早く昼食をすませ、白鳥大橋をめざした。
白鳥大橋のたもとには、道の駅「みたら室蘭」がある。ここは道の駅というよりも、「白鳥大橋記念館」で、橋にまつわる展示物がたくさんあった。道の駅にありがちな「野菜やみやげ物の販売」はほとんどなく、飲食コーナーもごくごく小さいものだった。道の駅周辺が屋台村になっていたので、食事はこちらでどうぞ、ということなのだろう。
さて、白鳥大橋であるが、岬のどんづまりだった室蘭が対岸とつながったことで、室蘭の産業に貢献しているかもしれないが、とてもとても残念なことに、自動車専用道路である。しまなみ海道みたいに自転車道もつけてほしかったところであるが、冬は雪で閉ざされる北海道のこと、自転車を想定していないからか、もしくは、そもそも「歩く」なんて想定していないからか。
自転車では渡れないので、タクシーを呼ぶことにした。道の駅となりに日帰り温泉があったので、受付でタクシーを呼んでもらったところ、5分もしないうちにやってきた。BD-1を急いでたたんでトランクにいれようとしたが、1台しかはいらなかったので、私のBD-1は後部座席に置いてもらうことにした。タクシーのシートを汚さないように、タオルをひいてもらって、ひっくり返らないようにずっと手で支えていた。
「自転車で走れるところまで、函館方面へ」というニーズで出発。白鳥大橋は全長2キロで、前後あわせて4キロほどタクシーに乗り、無事に対岸・崎守に到着した。運転手さんは「気をつけてね」と一言いうと、すぐに室蘭へと引き返していった。とつぜん「自転車を乗せる」といっても、それほど驚かれなかったので、たまにはこういう客もいるのかもしれない。
対岸は、さっきまでの霧がうそのように空は明るく、やや曇りの晴れ、だった。海の向こうからこちらにわたってきただけで、天気がまるで違う。不思議なものだ。
国道よりも一本、海沿いの道を走る。伊達紋別市に入ると「北の湘南」の看板が見えた。海辺の町で、北海道の中では温かいからだろう。本場湘南生まれ・育ち・在住の私からすると「そうかな?」という感じだが。
ゴージャスな名前の黄金駅は、海のすぐそばの駅。次の稀府駅では、高校生が何人も列車を待っていた。このあたりから、有珠山が遠くに見え始める。
伊達紋別駅近くになると快晴に。日差しが痛いぐらいにきつい。今朝は朝雨だったので、日焼け止めを塗っていなかった。(いつもは最強のSPF50+・PA+++を塗っています) おかげで、この日は久しぶりに、腕が真っ赤になった。わずか4時間程度の日射だったのに……恐るべし、北海道の日差し。ついでに、日焼け止めは、ある程度は効果があることがわかった。
道の駅「だて歴史の杜」で一休み。「伊達市開拓記念館」などがある総合公園の一角が道の駅となっており、ここもなんとなく「おまけ」の感じだ。公園内のレストランでソフトクリームを食べて、元気をつけて出発。洞爺湖を目指す。おおかたを海岸線沿いに走ってきた今回の旅だが、海を見るのは、この伊達紋別で終わりである。
まずは伊達紋別駅へ。ちょうど、札幌行きの特急「北斗」が到着し、何人かのお客さんを乗せて走り去った。車内はほぼ全シートが埋まっているように見えて、まずまずの乗車率だった。
伊達紋別駅からは、かつて、洞爺湖の東をぐるっと回って倶知安駅まで走る胆振線が通っていた。前述した富内線と同じ日(1986年11月1日)に廃止されている。残念ながら、この路線にも私は乗ったことがないが、今日は、一部分だけサイクリングロードになった廃線跡をたどることにした。
胆振線跡、サイクリングロードになっているのは、伊達紋別の市街から壮瞥町の町境までの約6キロだ。伊達市が市民のスポーツ振興策として、国鉄清算事業団から買い取ったものだ。全長83キロあった全線から見るとわずかだが、起点には遮断機が残っており、また、胆振線の記念碑が建てられていて、ここが廃線跡であることがよくわかる。
サイクリングロードからは、有珠山がとても美しく見える。やがて、有珠山の後ろに昭和新山も見えてきた。素晴らしい景色である。現役時代は、さぞ車窓の素晴らしい路線だったことだろう。長流川の鉄橋は自転車専用の橋となり、上長和駅跡は休憩所になっていた。サイクリングやジョギングをする人と何人もすれちがったので、スポーツ振興のためという目的は達せられているようだ。
壮瞥町との境でサイクリングロードは突然途切れ、そこから先は、どこに線路があったかもわからない。ここからは道道981号に入り、昭和新山の真横を通って洞爺湖へ出ることにした。昭和新山のすぐそばに道路が通っていたなんて知らなかった。
この道道、洞爺湖畔へ行くには、200メートルも上らなくてはならなかった。暑いし西日は強いし、ここは本当にきつかった。今回の旅で、一番きつかったのはここだと思う。
けれども、いままで列車の車窓の遠くにしか見たことのなかった昭和新山を、思いがけず、すぐ目の前に見られたのはよかった。もう少し元気があれば、昭和新山ふもとの土産物屋などをのぞく元気もあったのだけれど……ここは素通りしてしまった。
よれよれで昭和新山のわきをとおりぬけ、峠をこえたあと、洞爺湖が見えたときは、心の底からほっとした。洞爺湖畔を数キロ走って、今日の宿「
洞爺サンパレス
」に到着。航空券とセットのホテルである。
「洞爺サンパレス」は、大きな温水プールのあるものすごく超巨大ホテルで、北海道のTVではこの宿のCMがしょっちゅう流れているので、ご存知の方も多いだろう。温泉よりもプールがメインなので、子ども連れのファミリー旅行客がほとんどで、あとは中国人(台湾人)の団体旅行客・新婚旅行客が多い。ホテルの施設案内にはすべて中国語が併記されており、観光バスも中国語仕様。さらに部屋のインテリアも中国風だった。ベッドの装飾は「日本のホテルではありえない」ものだったし、室内調度品は、出張で泊まった上海のホテルのものとよく似ていた。
春から秋にかけて、洞爺湖畔では毎晩花火が打ち上げられる。ホテルの庭で、間近に打ち上げられる花火を楽しんだ。
明日は台風の影響で「大雨」の天気予報だ。