05/08/18 道北ツーリング6日目

2018年3月21日サイクリング

8/18(木) 曇り 105km
稚内-宗谷丘陵-宗谷岬-知来別-浜鬼志別-猿払-浜頓別
 今日は、今回の旅で最長距離、90キロ以上走る予定だった。7泊8日と長い日程だが、昨年に比べると、一日の走行距離は短く設定していた。だから「90キロ」にはちょっと緊張だ。
 今日も早起きし、前日にセイコーマートで買っておいたサンドイッチやスープ、コーヒーを部屋で食べ、6時20分に出発。旅館の玄関先で自転車の準備をしていたら、宿のおじさんが出てきて、「がんばってね」と、稚内のストラップを二つくれた。感激~! 北海道の人は、本当にみな、とても親切だ。

 まずは宗谷岬を目指して30キロ弱、国道238号を走る。風もほとんどなく、また、曇り空で暑くもなく、平坦な道は非常に快適。時速20キロ以上で快走を続ける。途中、稚内空港を通過。「ああ、ここから沼川めざして走ったなあ」と、たった数日前のことなのに、思い出にひたってしまった。旅程も後半になると、時間の進みが異常に速くなり、旅の終わりが近づいていることを感じる。そして、だんだんブルーになってくるのだ。

 日本最北端の宗谷岬への道なので、車もバイクも自転車もとても多い。バイクや自転車の人たちに片手を挙げ、せっせとあいさつを交わす。
 宗谷岬の手前で、道道889号へ入っていく。宗谷岬へは国道238号を走り続けた方が近いが、道道889号が通る「宗谷丘陵」は、最近注目されているスポット。「絶景」としてあちこちの本で紹介されていたので、こちらの道を選んだ。

 期待通り、宗谷丘陵では、風車や広大な牧場(宗谷黒牛)が見られて満足だった。そういえば、ゆうべ「つぼ八」で宗谷黒牛のたたきやステーキを食べたなあ、ここらあたりの牛を食べていたのだろうかなどと思いながら、牛をながめた。親牛は真っ黒だが、子牛は茶色っぽく、自転車を珍しそうにながめ、こちらに近づいてくる(子どもはどんな動物も好奇心が強いのね)。肉牛は乳牛に比べ、精悍な顔をしているようでちょっと怖い。北海道らしい牧場風景に、晴れていれば宗谷岬やサハリンまでも見渡せるため、観光バスの姿も見かけた。宗谷丘陵は、本当に新しい観光スポットなのだ。

 宗谷岬平和公園をぬけて、いよいよ宗谷岬へ。とても走りやすかったので、8時45分には到着した。
「最北端の碑」のすぐそばには、自転車がわんさかいた。岬は格好のキャンプ場のようだ。バイクもたくさん。「最北端の碑」には、ひっきりなしに記念撮影の人が押し寄せる。合間を見て、BD-1との記念撮影をする。せっかく日本最北端に来たので、ここはやはり、BD-1といっしょに写真をとりたかった。

 それから、岬前の土産物屋で「宗谷岬の旗」と「最北端到達証明書」、「最北端はがき(木製)」を買った。旗は「つけて走るならば」と、セロテープで補強してくれた。最北端はがきは、近くの郵便局から自宅に送った。郵便局職員は慣れたもので「切手を貼った後、スタンプを押しますね」と説明してくれた。僻地の宗谷岬の集落にある郵便局。どんなに暇であろうと(いや、暇じゃないかもしれないけど)、こういうものは、その存在自体が大切だと思う。たとえ郵政事業についてはあまり活動していないとしても、地域への貢献は、こういう局こそ大きいのではないか。

 宗谷岬を越えると、民家も牧場もない道が続く。歩道もない。そりゃそうだろう、歩く人などいないだろうから。けれどもこういう道は、対向車線で追い越しをする車がセンターラインを超えてこちらに向かってくるのでとても怖い。とくに、ダンプやトラックが追い越しをするとなると……。

 宗谷岬周辺は自転車旅の人がとても多かったが、おじいさんが一人、クリアボックス(プラスチックの衣装箱)を荷台に積んで走っていたのには驚いた。けれどももっと驚いたことには、クリアボックスを背負って(!)自転車に乗っていた人ともすれ違った。これには、もうもう、心底驚いた。クリアボックスが背中にある状態で、どうして自転車をこげるんだ?! ちなみに、道北を自転車で旅する人は、ほとんどキャンプ泊まりと見た。宿に泊まっている私らは、きっと、彼らから見たら「へたれ」だろう。

 低い丘を越えて、東浦の集落へ。弱い向かい風の中、海岸沿いの道を走ると浜鬼志別の集落に出た。ここには道の駅・さるふつ公園がある。ここで昼食をとることに。道の駅にはなにもなく、併設された猿払ホテルのレストランでの食事である。

 周囲には店もドライブインもないため、ツアー客の昼食場にもなっていた。「2泊3日利尻・礼文・宗谷」というツアーで旭川空港発着の場合、ここを利用すると思われる。猿払名物の天然ほたてを使ったホタテカレーと、ホタテフライ+ランチセットをたいへんおいしくいただいた。仕上げは、猿払産牛乳を使ったアイスクリーム、おみやげにホタテの貝柱を買った。ここのホタテ商品は、値段がお安くお得である。ところで、横浜名物・崎陽軒のシュウマイ(シュウマイ弁当で特に有名)には、猿払産天然ホタテの貝柱を使っているそうだ。道沿いにあったホタテ工場の看板にそう書かれていた。崎陽軒のシュウマイは、幼い頃からしょっちゅう食べていたので「へぇー」と驚きである。

 ここまでずっと海沿いに走ってきたが、浜猿仏の手前で海岸道をそれて右折する。今回の旅行で、海を見るのはこれで最後だ。ここからは、天北線跡を走る予定である。

 浜猿払に近い芦野駅跡から猿払駅跡までは、広い車道、道道1089号となっていた。けれどもこの道道1089号はわずか5,6キロで途切れ、猿払駅跡から先は「北オホーツクサイクリングロード」、自転車専用道路となる。どうして芦野駅跡から猿仏駅跡が道道になったのかは不明。バイパスが必要なほど交通量があるわけもなく、実際、道道1089号で見かけた車は数台だった。

 さて、「北オホーツクサイクリングロード」、熊が出没したところのある地域だ。そもそも民家も牧場もほとんどない原野につけられた線路の跡なので、いかにも「出そう」なのだ。サイクリングロード入口には「浅茅野付近で熊が出ました」の看板が。浅茅野というのは、旧猿払駅の一つ先の駅跡のある集落である。礼文島で買った熊鈴をかばんにつけ、ガランガラン鳴らしながら走る。幸い、終点の浜頓別まで、出会ったのは北キツネ一匹、エゾ鹿一匹、エゾリスらしき小動物一匹、ジョギングをしている人間一人(熊鈴もつけずに走っていたけれど、こわくないのかな……)だけだった。サイクリングロードを横断しようとしていた北キツネは、私らの姿を見ると、びっくりしたようにしばらく固まっていた。

 浅茅野駅跡には、プラットホームが一部残っていた。そして、かつて花壇に植えられていたのだろう、ルピナスが周辺に繁殖していた。ただし、花の時期は過ぎ、今は黒く種になっていた。きっと、来年もたくさん咲くだろう。

 次の飛行場前駅跡(国鉄時代は仮乗降所だった)には、ホームと駅名標の枠が残っていた。草におおわれているが、「ここに駅があった」とはっきりとわかる姿で感激した。1986年11月に天北線に乗ったとき、この駅(仮乗降場)あたりで朝日が差し込んできて、樹氷や雪に覆われた牧場をオレンジ色にそめていたのを覚えている。白樺の木々の間から見た朝日もとても美しかった。あのとき、車内は高校生でいっぱいだった。なお、天北線跡に並行するように通る道道238号のバス停は、いまでも「飛行場前」だった。飛行場があったのは戦前だったか。

 安別駅跡付近からクッチャロ湖が見えてくる。そして、山軽駅跡に到着。ここにはプラットホームも、そしてなんと、駅名標まで残っていた! 駅名標はさびさびだったが、誰にも盗まれず、廃止後16年たった今も残っているなんて! 思わず持って帰りたくなったが(ものすごいお宝じゃっ!)、同時にとてつもなくさびしくなった。

 そもそもこの駅、何が目的で作られたのだろう? 周りに民家も牧場もまったくないばかりか、道路すらない。乗降客って、いたのだろうか。これじゃ、駅名標を盗みにくる人もいなかったはずだよな、だいたいい駅にたどりつけないじゃんと納得。(帰宅後調べたところ、山軽駅は、森林業が盛んだった頃、材木の積み出し駅だったそうだ。かつてはちゃんと道路もあったのでしょう) 残された駅舎は「休憩所」となっていたが、荒れ果てていて、とても入れたものではない。トイレも同様だ。

 「北オホーツクサイクリングロード」、作ったはいいけれど、メンテナンスはあまりされていないようだ。アスファルトは割れ、草が顔を出し、両側の木々は伸び放題。利用する人もほとんどいないみたいだけど、このままでは、サイクリングロード、埋もれちゃうよ……

 ここらあたりから、虫の猛攻撃が始まる。立ち止まると、首やひざなど、むき出しのところに虫が何匹もかみついてくる。靴下の上からだって、平気でかみついてきて「いててて」。虫除けスプレーが大活躍だ。

 15時半過ぎ、旧浜頓別駅に到着。すでに100キロ近く走っているが、宗谷岬までが楽々だったのと、曇り空で走りやすかったため、予定よりかなり早い。旧浜頓別駅は、立派なバスターミナルと公園になっていた。駅前の店や旅館に「駅前」の雰囲気が残っていて、切なくなる。バスターミナルには、浜頓別駅のメモリアルコーナーが設けられていた。かつて、浜頓別には「興浜北線」と「天北線」がとおっていた。興浜北線は1985年に廃止され、乗ることはなかったが、天北線には、1986年と1987年に二度乗った。乗った鉄道がなくなっている、という事実は悲しい。メモリアルコーナーに気分が沈んでしまった。

 さらに、駅の近くにあった浜頓別ユースホステルも閉鎖されていた。1987年2月、クッチャロ湖の冬祭にユースホステルのみんなといっしょに出かけ、いろいろと思い出のあるところだった。ガイドブックや駅の案内、パンフレットには載っていたので、健在だと思っていたのだが。天北線がなくなり、旅行客が激減したとは聞いていたが……。昨年の8月に閉鎖されたとのこと、たった一年なのに、荒れ果てた庭にと窓のうちつけられた建物を目の前にして、さらに気分が沈みこむ。

 クッチャロ湖自体はきれいに整備されていた。ラムサール条約で認定されたため、助成金でも出たのだろうか。バスターミナルからクッチャロ湖に続く道は、妙に整備されていて違和感があった。湖前のサイクルターミナルはまとんべつ温泉ウィングが今日の宿泊先だ。ラムサール条約で海外からの客を意識したのだろうか、公共施設らしいが、設備は一流ホテルなみ、立派な部屋に温泉、豪華な食事だった。

 ちなみに、はまとんべつ温泉ウィングは日帰り入浴が可能で、また、クッチャロ湖畔にはキャンプ場があるため、バイクや自転車の人たちがたーくさん集まっていた。キャンプをする彼らを横に、旅館の浴衣を着て湖畔を散歩する私らは、やっぱり「へたれ」なのであった。